底辺(?)な大学生K398の独り言

元『底辺(?)大学生の日常等』。考え方が底辺な気がする大学生が様々な記事(主に独り言)を書きます。不定期更新。

○人に1人(独り言17)

皆さんこんばんは。1000人に1人の逸材になれたらなぁ…と思っている底辺(?)大学生です。


(本日も時間がないので内容はかなりテキトーです。申し訳ありません。)


突然ですが、『1,000人に1人の逸材』『10,000人に1人の天才少年(少女)』と言われている人がいたら皆さんは(その人に対して)どう感じますか?単純にすごいと思う人もいれば、羨望の眼差しを向ける人もいるでしょう。また、『100,000人に1人しか持っていない性質』を持っている人がいたら、すごく珍しい人だなぁと思うでしょう。


一方で、『4人に1人が毎日散歩している』『5人に1人が投資で成功している』と言われたら皆さんはどう感じますか?けっこうみんなやっているんだなぁ(成功しているんだなぁ)と思う人もいれば、自分もやらないとと焦る人(自分も成功できると思う人)もいるでしょう。また、『感染者の50人に1人が重篤化する病気』が流行すれば、多くの人が不安にかられ、外出自粛をするでしょう。


さて、ここまでで何度か出てきました『○人に1人』という言葉。言い換えれば『1/○』ということですが、果たして上のいくつかの事例は『○人に1人』という言葉、すなわち『1/○』を正しく評価できているのでしょうか?


まずは前半の事例ですが、『1,000人に1人の逸材』に対して、『すごい』という評価は、『1,000人に1人』を正しく評価できていると思います。まぁどこまでを『すごい』と言うかは人それぞれですが、『1,000人中999人が逸材ではない』と考えれば、『1,000人に1人の逸材』はまぁまぁすごい(≒珍しい)と言えるでしょう。『10,000人に1人の天才少年(少女)』を羨む、『100,000人に1人しか持っていない性質』を持つ人をすごく珍しいと思うという評価も、『○人に1人』を正しく評価できていると思います。


一方後半の事例はどうでしょう?『4~5人に1人がやっている(成功している)こと』は果たしてみんながやっている(成功している)ことでしょうか?やらないといけない(成功できる)ことでしょうか?答えは(ほぼ)Noです。『4人に1人が毎日散歩をしている』という事例の場合、裏を返せば『4人中3人は毎日散歩をしていない』ということになりますので、みんながやっているというこは明らかに過大評価です。しかし、やらないといけないかどうかについてはその人次第ですので、(散歩を)やらないといけないのか?という問いかけに対しては一概にNoとは言えません。『5人に1人が投資で成功している』という事例の場合、みんなが成功している、ましてや自分も成功できるという思い込みは明らかに間違いです。これも裏を返せば、『8割もの人間が投資で失敗している』ということなので、投資は失敗する確率が高いという評価が正しい評価と言えるでしょう。


とはいえ、多くの(愚かな)人が『4~5人に1人が成功している』と聞けば、『成功する確率が高い!』『自分もいけるかも!』と考えてしまいます。このような勘違いを生み出す原因のひとつとして、私は前半の事例のような『○万人に1人』のような分母の大きい分数が日常に溢れていることが考えられると思います。『1,000人に1人の逸材』だけでなく、例えば、宝くじやスーパーのくじ引きの一等に当選する確率などにも『○万分の1』が出てきます。また、少し規模は下がりますが、超有名企業の内定倍率も『○百~○千分の1』でしょう。


このような分母の大きい分数に対して、私たちは多くの場面で『すごい』『珍しい』『ラッキー』と考えます。例えば、『3人に1人の逸材』と言われてもあまりピンと来ませんが、『1,000人に1人の逸材』と言われれば多くの人が『すごい』と注目することでしょう。くじ引きでも、3回に1回当たる5等が当たっても少々喜ぶぐらいでしょうが、1,000回に1回当たる1等が当たれば、たちまち大喜び!周りの人もみんな盛り上がって、下手をすれば近所で噂されるまでになるでしょう。

さて、先程の段落で私が分数を全て相対的に評価していたことに気づかれたでしょうか?このように、(分母の大きい分数が日常に溢れることで、)分母の小さい分数を分母の大きい分数と比べて評価してしまうことが、少し前に述べた勘違いを生み出すのです。確かに『1/5』は『1/1,000』と比べたら全然珍しくもありません。しかし、だからといって頻繁に起こることでも決してないのです。(裏を返せば『4/5』の確率で起こらないといえます。)


分数を絶対評価せず、相対評価する者を狙っているのが、Twitterでたまに出てくる怪しい投資への誘いやYouTubeの広告などで出てくる怪しい商品への誘いです。『5人に1人が1,000万円の利益を出している』『女性の4人に1人が使っている』なんて言われたら、(愚かな人は)『自分も利益を出せる』『持っていないほうがおかしい』と思ってしまうでしょう。しかし冷静に考えれば、『8割の人間が失敗する投資』と『75%の女性が使っていない商品』です。それを踏まえた上で、本当に必要な(有益な)ものなのか考える必要があると思います。


次に、(話は少し変わりますが)『感染者の50人に1人が重篤化する病気』という事例。昨今の新型コロナウイルスの重症化率もこれくらいの割合(もう少し低かったような気もするが…)だったと思うんですが、果たしてこの病気は外出自粛を強制し、ロックダウンをしないといけないほど恐ろしい病気なのでしょうか?私は、『割合だけを』見ればそこまで怖がる必要のない病気だと思います。なぜなら、裏を返せば『感染者50人中49人は重篤化しない』、実際に感染する割合(ここでは25%とする)も加味すれば重篤化するのは全体の『1/200』、つまり200人中199人はその病気で重篤化しないということになるからです。実際のコロナウイルスの重症化率は『1/50』よりも低く、(今日)感染する割合を(1日の感染者数)÷(日本の全人口)で算出した値(とりあえず『1/10,000』とする)とした場合、今日1日で重篤化するのは日本人全体の『1/500,000』未満。今後1000日間の間に重症化するのは単純計算でおよそ『1000人に1人』。つまり日本人1000人中999人は今から2年半以上経っても新型コロナウイルスで重症化することはないのです。こう考えると、コロナウイルスに感染して重篤化するのはまぁ珍しいことと言えるでしょう。(実際は、高校生ならできるような計算式で重症化率が推移していくわけがないので何ともいえませんが…。)


では、新型コロナウイルスは本当に恐ろしい病気ではないのでしょうか?


少し計算すれば分かりますが、1日で重篤化するのが日本人全体の『1/500,000』の場合、実際の重症者数は200人。単純計算すれば、10日で2,000人、1ヶ月で6,000人になります。仮に新型コロナウイルス重症患者用の病床数が10,000の場合、2ヶ月ほどで医療崩壊が起こるでしょう。このように、実際にその病気が我々にとって脅威であるかどうかを判断するには、感染者数や重症化率だけでなく、病床数や医師・看護師の数など、様々な要因を絡めて判断しないといけないはずです。


しかし、例えばとある政治家が『日本人1000人中999人は今から2年半以上経っても新型コロナウイルスで重症化することはない』という先程の議論(+2年半後には新型コロナウイルスに有効な日本製のワクチンができているからかかっても大丈夫云々)をTwitterで展開した場合、多くの(愚かな)人たちは『新型コロナウイルスってたいした病気じゃないな。』『1000人に1人にならなければいいんやろ。余裕w』と考えて普通に会食も飲み会もなんでもやり始めてしまうかもしれません。


このように、絶対評価にも弱点はあるのです。数字そのものは事実でも、それがイコール真実だとは限りません。


以上のことから、絶対評価相対評価も一長一短であり、それぞれの性質を悪用して我々を騙すこともできるということが分かります。騙されないためには、1つの数字(事実)や見方だけでものごとを判断せず、1つの数字に対して様々な見方をしたり、あるいは他の数字(事実)でもものごとを見ることが大切だと言えるでしょう。


………だいぶ長くなりましたが本日はここまでにします。長すぎてまとまりのない文章になってしまいましたが、(まぁ独り言だし別にいいよねw)最後まで読んでくださりありがとうございました🙇